ウェストコースト通信
第3回「ラティーノの熱い日々」

[ZDNet Japan掲載] 2001年9月11日
小田康之


ここサンフランシスコには,ミッションという地区がある。この界隈を歩いていると聞こえてくるのは,スペイン語ばかり。大通りにはタコス屋やエルサルバドル料理屋などが軒を連ねる。さながらメキシコか中米の町にでも迷い込んだようである。

もともとサンフランシスコは,この地区が発祥の地だ。現在は,観光地としても有名なミッション・ドローレスをキリスト教の伝道施設してしてスペイン人が建設したのが,1775年のこと。これがサンフランシスコの始まりである。

当初この町は,イェルバ・ブエナ(Yerba Buena)と呼ばれた。イェルバ・ブエナとは,直訳すれば「良い草」という意味のスペイン語であるが,この辺り一帯に自生し,先住民が薬草として使っていた香しいハーブのことを指す。このハーブの呼称であるイェルバ・ブエナは,サンフランシスコ湾に浮かぶ島の名前となり,町の名前となった。

イェルバ・ブエナの町は,スペインのヌエバ・エスパーニャ副王領の一部として統治され,1821年のメキシコのスペインからの独立後はメキシコ領となった。その後,米墨戦争にメキシコが敗れたことによりアメリカ合衆国の下に入り,町の名前もイェルバ・ブエナから正式にサンフランシスコに改称された。サンフランシスコという名は,フランシスコ会の創立者であるアッシジの聖フランチェスコに由来する。カリフォルニアは,フランシスコ会主導のもと入植が進められたからだ。

このサンフランシスコ発祥の地であるミッション地区には,スペイン語の喧噪に混じって,ドットコム企業に勤める若者が次々と住居を求めて入り込んでいった。比較的安い賃料に加え,南のシリコンバレーへ通ずるハイウェーの101の入口に近いという地の利もあったからだ。
町のある部分は小綺麗に変わり,公園も見違えるほど清潔になっていった。

しかしながら新参者の流入やそれに伴う地区の再開発は,もともと居住するラティーノ(最近はヒスパニックに代わりスペイン語系の人々を指す言葉として定着してきた)たちとの摩擦も生んだ。反対運動の集まりも頻繁に行われていた。ところが最近になって,幸か不幸かこれら新参者の流入も落ち着き,その熱気もやや下火になってきた。

一方,最近でも良く目にするのは,非合法に入国した移民を合法化せよ,というラティーノの集まりである。

先週,メキシコのフォックス大統領がワシントンを公式訪問した。この模様は,こちらのメディアでは,連日大きな扱いで取り上げられた。その直後に当地で行われた日米のサンフランシスコ講和条約50周年の記念式典など,これに比べればごく影の薄いものであったほどだ。

メキシコからの不法移民の数は,300万を超えると言われている。フォックス大統領は,この不法移民に対して米国は一律に恩赦を与えて合法的な移民にすべきであり,そのための移民協定を年内に締結しようと米国に迫った。これを公式のスピーチで訴えたものだから,ブッシュ政権は大慌て。まさか公式のスピーチで言われるとは思っていなかったようだ。メキシコを重要視し,国内ではそれとの関係を常にアピールしてきた元テキサス州知事のブッシュ大統領としても,返答にいささか困惑したようである。

昨年の国勢調査によると,ラティーノは,全米で人口の実に12.5パーセントに達している。アフリカ系アメリカ人(いわゆる黒人)は12.9パーセントだから,増加率の激しさからいってラティーノが追い越すのも目前だ。全米で言えば,そのラティーノうちの過半数はメキシコ系。サンフランシスコでは,メキシコに近い南カリフォルニアには及ばないものの,全米よりはラティーノの割合が高く,人口の14.1パーセントとなっている。

この多くが居住するミッション地区では,ドットコムの勢いが衰えた今も,熱い日々が続いている。