ウェストコースト通信 "For Lease" ,"For Rent"の看板が,あちこちのビルに掛かっている。まったく,ほんの数ヶ月前には,考えられなかった光景だ。 サンフランシスコの市内を,北東から南西に掛けて,マーケット通りと呼ばれる大通りが貫く。この通りは,19世紀半ばにアイルランド人のエンジニアであるオファーレルによって設計されたものである。現在では,路面電車や地下鉄,数多くの路線バスが通り,交通の要となっている。中心部を斜めに通るこのマーケット通りは,サンフランシスコの市内をその北側と南側に大きく二分している。通りから南側の地域をソーマと呼ぶ。ソーマ(SOMA)とは,マーケットの南 South of Marketの略だ。 ソーマは,かつてはかなり物騒な地域だった。そこでこの地区の再開発が行われ,IT系のイベントも数多く開催されるモスコーニ・コンベンション・センターやヤーバブエナ・ガーデンと呼ばれる美しい公園などが建設された。ソニーの総合エンターテイメント施設メトリオンがあるのもこの地区だ。さらに南のはずれには,サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地となったパシフィックベル球場もオープンし,ソーマは大きな変容を遂げた。この地区は,ネット企業にとってもその舞台となった。 もともとみすぼらしい倉庫街が大部分であったソーマには,1990年代に次々とネット関連の企業が集まり,「マルチメディア・ガルチ」とも呼ばれる。ガルチとは,バレーと同じように谷の意味である。もっとも,シリコンバレーにもマルチメディアガルチにも,その名から連想するような谷があるわけではないが。古くからの建物は改装されて小綺麗なオフィススペースとなり,さらに次々と新たなビルが建てられていった。一時は,ソーマ全体のオフィススペースの半分以上は,ネット企業で占められたという。企業の数でもネット関連が500を超えていた。 オフィススペースの中で,特にトレンドとなっていたのが,live/workロフトと呼ばれる物件である。住居としても仕事場としても使用可能なロフトスペースのことだ。天井が高く,空間が広くとれるロフトは,新興のベンチャー企業には打ってつけである。一種の流行ともなって,次から次へと新たなロフトが建てられていった。あまりの需要により,急ピッチで建てられたがために,見るからに不安な作りのものも少なくないが。ソーマを歩いていると,今もあちこちでロフトを始めとしたオフィスビルの建設が進んでいる。 最近の調査によると,ついに全米の主要都市でオフィスの賃料が下がり始めたという。サンフランシスコを始めとするベイエリアでは,今年の始めからかなりの勢いで下がっては来ていたが,第1四半期と比較して第2四半期は,サンフランシスコの中心部の優良物件では14.1パーセントも下落している。空室率は10.3パーセントに達する。(CB Richard Ellis調べ)それでも計画はすぐには覆せず,ソーマにはさらにオフィスビルの建設が進んでいるのである。 次々とドットコム企業が撤退するのと軌を一にして,ソーマではあちこちでドットコムの倒産セールを見かける。先日も近所のベイブリッジのそばを歩いていると,ある高級アパートの前に黒山の人だかり。インターネットのコンサルティングを業務をしていたベンチャー企業が潰れたので,その会社が社員用の住居として借りていた部屋の家具を売り払っているのだった。ダイニングテーブルに,ソファーに,テレビに,ランプにと,真新しい家具や電化製品が次々と運び出されてゆく。ついでに部屋を覗かせてもらったが,バルコニーからはサンフランシスコ湾やベイブリッジが眼前に広がる格別のロケーション。この高級アパートや真新しい家具の一式が,何人もの社員に提供されていたわけだ。 売り払われてゆく家具の新しさと,社員が住んでいた部屋の眺めの良さが,どうもこれまでのネットブームを象徴するようで,もの悲しいことこの上ない。
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